某フードデリバリー配達員のブログ

中年男性フーデリドライバーの独り言

Uber Eats(ウーバーイーツ)の配達員の仕事は底辺なの?に現役配達員がお答えします

Uber Eats(ウーバーイーツ)って底辺の仕事だよね?

何をどう思うのかはその人の自由ですから仕方がありませんし、そういう否定的な声を出すのはUber Eats の仕事はどのような仕事なのか理解していない人に多いという印象です。

では、実際にUber Eats の配達員として配達をしていてそう感じることはあるのか?

そう自問すると、底辺だと言われる理由も分かるけど、だからこそのメリットもあるので、嫌な気持ち半分、しめしめ…という気持ち半分というところです。

そのようなことを、Uber Eats の配達員を約3年、合計17000件以上こなしている僕の主観で書かせていただきます。

Uber Eats(ウーバーイーツ)の配達員は底辺の仕事なの?

底辺なのかどうかという明確な基準ってあってないようなものだと思うのです。

つまりは、受け手の価値観の問題だと思うのです。

醜く見える角度から見れば醜く見えるし、美しく見える角度から見えれば美しく見える。 どの角度から見るのかは、見る人の自由。みたいな。

僕はそういう考え方で捉えているのですが、世間一般の印象では、Uber Eats の配達員はこんな条件に当てはまるから底辺だと言われていたりします。

学歴関係なくできる

自転車に乗れれば配達ができるというのがUber Eats の配達員の魅力でありながら、自転車なんて誰でも乗れるのだから、それは底辺だよねって言われていたりします。

まあ・・・それが底辺だとするなら、確かにそうです。

収入がそれほど多くないと思われている

バイト程度なので仕事としての実入りは中途半端だし、いまいちなんだろ? 補償もないんだから、結局は正社員よりも稼げない仕事じゃないの?

そういわれると、「いや稼げるぞ!」とは強くは言えませんから、底辺と言われるとそうかもしれません。

人間関係を拒絶している

人と関わるのが嫌だからという理由で選ぶ人がいるのだから、コミュニケーションが成立しない人の集まり。変な人が多いに違いない。

これも、確かにそうかもな・・・

人間関係が得意じゃないって人は一定数確かにいます。

面倒なことから逃げている

他の仕事もできなかったので、その仕事に行きついた人たちに違いない。

そういう人も居るのは事実ですので、強く否定はしません。

ただ、全員がそうだろとなると、副業で配達員をしている人も居ますから、なんとも言えません。

実際にUber Eats(ウーバーイーツ)の仕事をしながら底辺だと感じることはあるのか

具体的に細かく言い出せばまだまだありますが、だいたい先ほどのようなポイントに集約されると思います。

そして、そのそれぞれが、”そういう人も居るし、そうじゃない人も居るし・・・”という注釈のようなものがどうしてもつきまといます。

 

では、実際にUber Eats の配達業務をしていて、底辺かな・・・と感じることがあるのかと言えば、ありません

僕は17,000件以上配達しています。 それでも底辺なんだな・・・って感じることはまずありません。

それには次のような理由があるためです。

稼げない仕事だという誤解

時給換算1,000円前後の稼げない仕事だと思われていますが、中年男性で運動に自信がない僕でも週10万円(2021年10月11日の週、大阪で原付バイクでの稼働)を稼いだこともあります。

報酬は時間、地域、プロモーションによって異なりますが、稼げなくて困る仕事なのかと言われると「そういうわけじゃない」という答えになります。

 

事業主なのでそこから経費が出て・・・という計算になりますが、Uber Eats の配達員に掛かる経費ってしれてます。端的に挙げると乗り物、装備品、保険程度です。

あとは利益です。 金銭面で見れば、稼げる人は稼いでいます。

 

それに、です。

金銭面だけで底辺かどうかが決まるなら、介護職や保育士さんなど低賃金で苦しんでいる職業の方々は底辺なのでしょうか?

さらに言えばガンジーはド底辺なのでしょうか?

賃金の高低でその仕事が底辺かどうかという考え方をするのは何か違うと僕は思うのですが、あなたはどう思いますか?

低学歴ばかりが働いているわけではない

低学歴ばかりが働いているというイメージを持たれているようですが、配達員の中には東大卒、東大院卒のような学歴の頂点のような人が趣味を生かしてUber Eats を楽しんでいたりもします。

白金台に住んでいてお金には困ってないけど運動と趣味を兼ねて配達員をしていることもありますし、経営者が息抜きとしてってこともあります。

社会的評価ではいわゆる勝ち組と言われる人が、Uber Eats で配達員をしていることがよくあります。

どのような学歴の人でもできる仕事=低学歴の人しかいない仕事ではなくて、どのような学歴の人でもできる仕事=色々な学歴の人が居る仕事です。

人間関係が成立しない人だけがやっているわけでもない

人間関係がうまく成立しない人がやっているという評価は否定しません。 確かにその傾向があるかもしれません。

ただ誤解はあります。

ちゃんとやろうと思ってもできないのか、ちゃんとやろうとしない人なのか。

後者は例外なくどの仕事でも成立しにくく、そういうタイプの人は配達員を続けることすらできません。

 

例えば、最低限のマナーや礼儀がない人や規約を守れない人はUber Eats の配達員の仕事は続けられません。遅かれ早かれお店や注文者様からクレームが入って、アカウント停止となります。

最低限のマナーや礼儀は持っているけど人間関係の維持管理が不得意という方は確かに配達員には多いかもしれませんが、それが問題になる仕事ではありません。

 

むしろ不得意が業務に影響を与えずにちゃんと稼げる仕事なのですから、それはそれでこの仕事のメリットなんじゃないかな?と思うのです。

社会保障的な側面もある

社会からドロップアウトした人たちが居るからUber Eats の配達員は底辺だと評する意見も目にします。

僕はそういう考え方は嫌いですが、考え方としては理解できます。

ただ、Uber Eats の配達員をキッカケに社会に復活していく人も多くいます。 Uber Eats をキッカケに生活保護を辞めることができたという人も居ます。

働きたくても面接すらも受けられずに他の仕事が受け容れてくれないのでUber Eats を足掛かりにしているという人が確実に居ます。

 

ちゃんと働いて稼ごうとしている人は底辺の人なのかな?と僕は思いますし、逆に言えば、ドロップアウトした人が社会に戻るチャンスを提供しているUber Eats は、社会福祉という側面で大きく貢献していると思うのですが、あなたはどう思われますか?

というわけで・・・

Uber Eats の配達業務は、お店で料理を受け取り、それを注文者様に届けるだけというシンプルな仕事です。それそのものは決して難しいものではありません。

 

でも、ひときわ感謝していただける仕事でもあります。

お店の方には売り上げに貢献していますから感謝されますし、注文者様には、おなかがペコペコな所へ食べ物を届けますので、確実に喜んでいただけます。

時には子供が待ちきれずに玄関先で待っていることもあり、食べ物を渡してドアを閉めた途端に「やったー!」という喜びの声が聞こえることもあります。

病気で出歩けない人の元に食事を届けたことでとても喜んでいただける事もありますし、身体に障害をお持ちで買い物に不自由する方の元に届けて感謝されることもあります。

こんなに感謝を身近に感じれるのに、それを底辺だな・・・と僕は思えません。

 

何よりも、「底辺だ」と思われていることの決定的なメリットに”競合が増えにくい”というものがあります。

条件的にも仕事の内容的にも誰でもできる仕事です。

しかし、底辺だと思われているからという評判がネックでこの仕事をしたくないという方が一定数います。

底辺と思われていることで競合が増えることを防いでくれています。

10のオーダーを3人で処理するのと、10のオーダーを10人で処理するのとでは、1人あたりの稼ぎに大きな違いが出てきます。配達員が増えすぎることは、配達員として死活問題になってきます。

しかし、底辺だと思われていることによって配達員がやたらと増えることを防いでくれていて、だから稼ぎが大きく落ち込みにくいという状況にも繋がっています。

本音を言えば、底辺と思われたままのほうが配達員としてはお得なのです。

 

もちろん、Uber Eats の配達員を底辺の仕事だと思う人が居ることは決して気持ちのいいことではありません。

だからと言って、その人たちを説得しようとか、説教しようと思うこともありません。

どう思おうが自由ですし、そう思われていることのメリットもありますから、いちいちそこに反応しないようになったというのが正直なところです。

あなたの何かの参考になりましたら、嬉しい限りです。